皆神山を後にして、松代の町へと戻ってきた。
ここは真田市10万石の城下町の風情を残す情緒ある町なのだ。
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なかなかいいところでしょう。

この城下町の後ろにある象山の地下には、何と第二次世界大戦末期に日本軍が地下に本部を移転する計画をしていたらしいのだ。
松代象山地下壕探検家としては行くしかないっ

ちょっと怖そうですが、ヘルメット着用して入ってみることにしました。ヘルメットは入口の受付で貸してくれますので、持って行かなくていいです。(工事用のヘルメット持って観光地へ行くヤツなんていませんが・・・)
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入口付近はかなり狭い感じで、油断すると頭をぶつけそうです。やはりヘルメットは必要ですね。 奥は、高さ2メートル、幅7,8メートルほどのわりと広い地下道となっている。
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このような素掘りの坑道が延々と続いている。 これは終点ですが、脇に入る坑道もたくさんあり、迷って入り込まないようにフェンスて覆われている。外は半袖でもよかったのですが、壕の中はかなり涼しかった。
公開されているのは、わずか500Mほどの距離なのですが、当時の作業の苦労を推し量るには充分でした。
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全体図と案内の看板
入口でもらったパンフレットより・・・
松代象山地下壕は、第二次世界大戦の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘のうちに大本営や政府各省等を松代に移すという計画の下に構築したものです。
着工は昭和19年11月11日午前11時。翌20年8月15日の終戦まで、約9ヶ月の間に当時の金で約2億円の巨費と、およそ述べ300万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され、1日3交替徹夜で工事が進められました。
食糧事情が悪く、工法も旧式な人海作戦を強いられ、多くの犠牲者を出したと言われています。
松代象山地下壕は、舞鶴山(現気象庁精密地震観測室)を中心に皆神山、象山の3箇所に碁盤の目のように掘り抜かれ、その延長は10Km余りに及んでいます。全工程の75%の時点で終戦となり工事は中止されました。
戦後は、訪れる人も少なく忘れ去られようとしていましたが、太平洋戦争の遺跡として多くの人々にこの存在を知っていただくため平成2年から見学できるように整備維持したものです。
地下壕の現況 総延長:5,853.6m 概算掘削土量:59,635立方m 床面積:23,404平方
終戦のその日まで作業が続けられていたというのですから驚きです。
本気で穴の中へ潜ろうとしていたのですから、当時の軍本部はかなり追いつめられていたのでしょう。
本土決戦になって、この本部の出入口を発見されたら袋のネズミ状態で、終了だと思うのですが・・・象山地下壕だけでなく、松代には旧真田邸など文化遺産がたくさんあるので、レンタサイクルなんかでまわると楽しいです。旧真田邸や海津城跡には時間がなくて行かれませんでしたが、次回ゆっくり周りたいと思います。
この後は、松代にある川中島合戦の時に上杉謙信の陣が置かれたという妻女山へと登りました。
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